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ヘヴィメタルの概要

ヘヴィメタルは、ハードロックが限界点を迎えた後に顕われたパンク・ロックムーブメントの激動の中で新たな音楽性を求めた者たちがハードロックを発展させた末に生まれたものである。従って、ハードロックとヘヴィメタルの間に厳密な境界線はなく、「何をもってヘヴィメタルとするのか」という定義は存在しない。そのためハードロックとヘヴィメタルとをひとくくりにしてHR/HM(HM/HR)と呼ぶこともある。 日本では世間的には長髪・革ジャンなどのファッションで、ギターもドラムもひたすらジャカジャカ・ドカドカとかきならしてうるさく、歌詞も悪魔・地獄・死といった過激な内容の音楽、といったイメージで捉えられる。このイメージはメタルの一面を間違いなく捉えているが、これだけを過剰に強調した捉えかたは本質から外れている。悪魔崇拝を公言するバンドもあるが、ファッションやアルバム&曲のコンセプトなどのイメージ面に於いてオカルトのモチーフ(逆十字、逆ペンタグラム、666など)を借用しているだけのバンドもあり、必ずしも実際にそのバンドが悪魔を崇拝しているとは限らない。むしろクリスチャン・メタルと言うジャンルがあるほどで、メタル=悪魔崇拝という考えは間違いである。 ヘヴィメタルは比較的古くから、アリーナ向けの商業ロックとアンダーグラウンドにシーンが分かれていて、また時代が下るごとにシーンも細分化が進んできた。シーンの分化はすなわち音楽性の多様性を生み出し、そのため様々なサブジャンルを内包している。ヘヴィメタルのサブジャンル参照。 音楽的特徴 [編集] メンバー構成は、ロック一般に見られるものとあまり変わらない。ギター、ボーカル、ベース、ドラムを主軸にし、これに、キーボードが加わることもある。ただし、ヘヴィメタルバンドにはギタリストが二人いることも少なくない。また、多くの場合、重いディストーションをかけたギターとバスドラムを2つセッティングしたドラムセット(ツーバス)が使われている。ギターはリズムギターとリードギターに分かれている場合と、二人が同じリフを弾いて重さを増している場合の二つがある。リフはパワーコードを主体とし、ベースはリズムギターのユニゾンを弾いていることが多い。 ヘヴィメタルでは、ギターソロが重視される場合が多く、多くのバンドが曲中にギターソロを入れる。特にギタリストが二人いる場合は、二人が交互にギターソロを弾くことがある。また、ドラムソロやベースソロも行われることも多く、歌よりも演奏で魅せるような曲も多い。こういった傾向から、速弾きなどのテクニカルな演奏を得意とするプレイヤーを多く生み出している 通例のポピュラー音楽のテンポが概ね 80-130bpmであるのに比して、80-200bpm以上と総じて速いテンポの曲または曲の一部を許容する傾向を持つ。 ヘヴィメタルでは、低音域が重要視され、ギターやベースのチューニングを下げて通常より低い音が出せるようにしたり、アタック音の強いバスドラムを左右の足で継続的に踏みつづけるなどの特徴が見られる。ヘヴィメタルは音楽機材の進化と多様化に多大な影響を与えたとも言われている。 歴史 [編集] ヘヴィメタル黎明期 [編集] 今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。 ビートルズ「ヘルター・スケルター - Helter Skelter」(『ザ・ビートルズ』収録、1968年発表)をヘヴィメタルの元祖の一つとする説もある。割れるようなサウンド、激しいリフの上にシャウトするコーラス部など、後のパンクロックやヘヴィメタルに与えた影響があまりにも大きいからである。 その他にも1960年代後半からクリーム、ヴァニラ・ファッジ、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルを始めとするラウドなロックが多数現れた。これらのバンドも音的にヘヴィメタルな要素を多分に含んでいるが、いずれもハードロックの範疇に留まると見なすことが多い。 以上のようにヘヴィメタルの祖としては色々挙げられるが、いずれも後から見て「そうとも取れる」というレベルであり、確実にヘヴィメタルの祖といえるのは何と言っても1970年デビューのブラック・サバスである。歌詞、楽曲ともに当時のロックシーンにおいてセンセーショナルであったことは間違いなく、その影響は現代のヘヴィメタルシーンにとどまらず、他のロックンロール・バンドにまで受け継がれている。 ジャンルとしてヘヴィメタルが成立し始めるの1970年前後である。 ヘヴィメタルの確立 [編集] レインボーの「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」「キル・ザ・キング」で聞くことのできる、ベース・ギターとバスドラム、リズム・ギターの三者が同期するリズムは、インパクトの強い独特の疾走感とドライブ感を演出し、その後のヘヴィメタルの定番スタイルとなった。 ジューダス・プリーストは結成当初は比較的オーソドックスなハードロックをプレイしていたが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの音楽様式を作り出した。さらに1970年代末以降はレザーファッションやフォーメーションなどステージ・パフォーマンスの面でもいわゆる「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げた。 ドイツのスコーピオンズの存在も重要である。スコーピオンズ登場前のドイツはロック不毛の地と呼ばれるほど、スター・アーティストが不在の状況であった。スコーピオンズの登場後、彼らに続くグループが現れ続け、ジャーマンメタルの世界を作り出した。 NWOBHM [編集] ブリティッシュ・ハードロックは 1970年代初頭に一時代を築き上げるが、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーブメントが起きると、かつてのハードロックは「オールド・ウェーブ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハードロック・シーンはその勢いを失っていく。しかしながら、アンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが頭角を現し、サウンズ誌の記者ジェフ・バートンにより『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられたこのムーブメントはイギリス全土に広がり、1980年にはアイアン・メイデン、デフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。 それに先立ちホークウインドから派生したモーターヘッドは、従来のロックンロールやハードロックに重いギターとスピード感のあるリズムを導入し、NWOBHMや後のスラッシュメタルの先駆けになり、彼らが関連したバンドサクソンなどともに同様の疾走感をもったバイカー向けロックンロールがシーンに定着することとなる。また、イギリス国外のバンドがシーンに登場し、ドイツのアクセプト、フランスのトラスト、オランダのヴァンデンバーグ、デンマークのプリティ・メイズやマーシフル・フェイト、スペインのバロン・ロッホなどが注目された。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが大ヒットするなど、かつてのハードロックバンドの再評価、活躍も見られた。 これに対して日本からは1981年にLOUDNESS(ラウドネス)がデビュー。1976年にデビューしていたBOW WOWとともに世界進出を果たし、セールス的にも好成績を収める。 舞台はアメリカへ〜産業化と全盛期 [編集] 1980年代に入ると、ヘヴィメタルの中心はアメリカに移っていく。まずモトリー・クルーやラットの成功によりロサンゼルスを中心としたシーンが活性化、LAメタルと呼ばれるジャンルが誕生、ドッケン、W.A.S.P.、ポイズンの他、ニュージャージーのボン・ジョヴィなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たすなど、アメリカから多くのバンドが誕生した。MTVはHM/HRバンドを大々的にバックアップ、ヘヴィメタルの産業化が進んでいくこととなる。 こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに誕生すると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参もとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、日本のラウドネス、カナダのベテラン、ラッシュやトライアンフ等の活動が目立った。1980年代後半にはボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に天文学的なセールスをあげ、ドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。 同時期のヨーロッパ独自のシーンの発達 [編集] 1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、透明感のあるクラシカルなサウンドや幻想的で叙情性のある歌で人気を得るヨーロッパらの活躍があった。またイングヴェイ・マルムスティーンによってネオクラシカルメタルが誕生、彼の速弾きは世界のギタリストたちに衝撃を与える。それとともに、ハロウィンらを初めとするジャーマンメタル勢の活躍はメロディアスで疾走感みなぎる新たな形式を生み出し、後のメロディックスピードメタルへと繋がった。 スラッシュメタルの流行とその影響 [編集] NWOBHMそのものは1980年代半ばにその勢いを失ってしまうが、世界各地で「NWOBHMに続け」と若者達がバンドを結成するきっかけとなった。 アメリカのアンダーグラウンドシーンでは、メタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスなどのバンドが、ハードコア・パンクの影響を受けながらよりへヴィで過激な音楽形態であるスラッシュメタルを確立。これらはテンポの速さ、リフに重きを置いたサウンド、ダークな世界観を特徴とし、当時隆盛を極めていたLAメタルとは一線を画するものであった。 80年代後半のメタルシーンを席巻したスラッシュメタルも似通ったスタイルのバンドの乱立などで衰退していくが、フロリダではスラッシュメタルの凶暴性を突き詰めたデスメタル、北欧ノルウェーではスラッシュメタルの要素に加え反キリスト教の概念を強調したブラックメタルが誕生するなど、その後のエクストリーム・メタルシーンの成立に大きな影響を与えるとともに、シーンの細分化が進んだ。 古典的ヘヴィメタルの衰退〜オルタナティブ・メタルの勃興 [編集] ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎えるが、ポップ・ミュージック化した産業ロックへの反発から生まれたニルヴァーナをはじめとするグランジ/オルタナティブ・ロックの人気の爆発により、1980年代的なヘヴィメタル(いわゆる正統派メタル)は、過去の遺物扱いを受けることになる。 そのような状況下では古典的ヘヴィメタルバンドが従来の活動を続けられるはずもなく、バンド再編、有力メンバーの離脱、音楽性の変化などが求められた。当然それに対応できないバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドは表舞台から消えていった。 この状況に楔を打ち込んだのがスラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でスラッシュ的なスピード性を放棄し、オルタナティヴ・サウンドと通じるような重厚な音楽性を導入してヘヴィメタルの新しい方向性を示し、2200万枚という大ヒットを飛ばす。そして、パンテラの『俗悪』、ミニストリーの『詩篇69』、ヘルメットの『ミーンタイム』などは数々のバンドの手本とするところとなる。そのパンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードがジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえよう。 この動きに呼応するようにしてヘヴィメタルは若手ミュージシャンを中心にオルタナティブ・メタルとして復活を始める。それは、シンプルなリフに重いギターサウンド、冷徹に現代社会を見つめる歌詞のテーマ、ヒップホップ・レゲエの要素の導入など、時代に求められた様々な要素を注ぎ込んだ新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。一方の日本ではこの動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調したマーケティングが行われた。 このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストという前代未聞のツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンやスリップノット、コーンなどのプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを伝説的な存在へと昇華させることにも成功した。 こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であったが、ヘヴィメタルとしての本質を見失っていき、メタル界全体が進むべき道を見出せない錯綜の時代となりメタル界全体の衰退という状況を生み出した。


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